愛する青春時代をありがとう

これはいわゆる担降りブログなのではないだろうか。自分の心の整理であり、なんとなくまとめることで改めて前を向く。向けていられますように…そんな思いを込めて書きました。

わたしはゆずがすきです。
中学生の時に月影という曲を聞いて、その歌心にときめき、ふたりの声と名前と顔と曲を調べあげシングルからアルバムの全てを手元に揃え、雑誌が出たら必ずインタビューを読みふけり、リアルタイムで出演番組を見ないと気が済まず、それはそれは周りに引かれるくらいすきな存在でした。
ええ、今や過去形なのです。
わたしがすきなゆずじゃなくなった!
噛み砕いていけばきっとそういうことなのだと思います。ですが、自分なりにここまで追いかけてきたのだからそれなりの理由があるのではないかと思い立ちつらつらと気持ちの整理をして行こうではないかと思います。

①岩沢曲の減少
これは偏った目線なのかもしれません。お気を悪くされるファンの方も多いと思いますが言及させてください。
毎年1枚は必ずアルバムを出してツアーを回ってくれるありがたいアーティストゆず。
北川さんが立ち上がらなければアルバムのコンセプトどころか次の曲どうする?から話が進まないこと請け合いの全力受身サブリーダー岩沢厚治。自分が受身の体勢でいるからこそ現在進行中のゆずの世界観(≒北川さんの世界観)が生まれると言ってもいいと思う。
その世界観にのっとってアルバムを作るのが最近のルーティーンなのだが(それは長いこと活動をしていた歌手だからこそ仕方ないことでもあるし構わないと思う)岩沢曲の少なさたるや!
元々ふたりが別々に曲を作るものだからやっぱりそれぞれのファンがどうしてもできてしまう。もちろんふたりがすき!というファンも少なくないが、あえて取り上げないでおこう。
わたしはもちろん北川さんの作る曲ですきなものはたくさんある。むしろ年齢を重ねる度にストレートに書かれた歌詞にグッとくる瞬間が増えてきている。
要するにわたしが言いたいのは書くな!とか嫌い!とかではなくて、
ただ岩沢厚治の曲が聴きたい。それだけなんです。
時代が求めているゆずではないのかもしれない。だけれど、あののびのびとした遠まわしな言葉だけど伝わる小さなしあわせを含んだ優しい不器用な曲が聴きたいだけなのです。
しかし北川さんの世界観にのっとった岩沢曲というものもさりげなくそーっといる感じで、もしかしたらそれこそ岩沢曲たる所以なのではないか。この一次休戦とばかりに短い曲も一曲であり箸休めとしても役割が素晴らしいと拍手してもいいのではないか。
ということで落ち着いていた。
ファンだったから。

しかし、まさかの出来事がわたしを襲います。それは2014年新世界ツアーで起こりました。
LANDに新世界と立て続けにアルバムが出るものだから嬉しい反面、内容に少し心配すらあったのですが、聞いてみてびっくり。
いつもより曲がくだけていて、いい!
きっと前作くらい面白い世界観でびっくりさせてくれるはず!という期待を胸にいざツアーへ。

………あれ? あの曲は?

たった一曲だけ、アルバム収録曲のはずなのに演奏されなかった曲があったのです。
その曲は確かに地味だしもしかしたら新世界という世界観からしても浮いていたのかもしれません。ですが、その曲はよりによってわたしが一番すきな岩沢さんの曲でした。
参加する予定は無かったのですが、ご好意で追加のツアーにも参戦しました。が、結局歌われず。わたしがだいすきなはずの弾き語りコーナーが増えていたもののテンションは完全に右肩下がり。肩を落としたままわたしのツアーは終わりました。
アルバム新世界で岩沢さんが作った曲数は15曲中4曲。新曲で言えば3曲。
近年岩沢曲は減少の一途を辿っており、前述の通りもう気にしないことを決めていたのですが(前作のツアーLANDがあまりにも良かったため)、この歌われなかったライブの帰り道何かがぷつりと途絶えてしまったのかなと思う。
さらに追い討ちをかけるようにツアー後のインタビュー記事にて初日北海道で披露したのだけれど新人スタッフから「あの曲をあのタイミングでやるのはどうなんですか」と言われ定番曲に変更した。と語っており、ゆず側の意思(もしくは制作者の意思)ではないことが発覚。
よりショックは増幅し、むしろ追加公演(なぜか弾き語りコーナーが増えコンセプトから逸脱していたように思えた)で披露しよう!という提案はどこにも生まれなかったのだろうかと疑ってかかるようになってしまったのだ。
ファンにとって1番よくない傾向であるように思った。

②顕著に見られる音楽性の違い
今年の1月。岩沢さんが参加する「寺沢勘太郎一家巡業の旅」大阪と名古屋へ参戦。
ゆずではなく、岩沢厚治ひとりが出演するライブサーキットだ。何度かひとりで飲み屋で知り合った渋かっこいいアーティストさんと一緒にライブをやることがあるお酒好きな彼なので珍しいことでもないのだが、わたしはなにせ「ひとりぼっちの岩沢厚治」を初めて見るもので「曲のタイトルだけじゃなくてしゃべったりお客さん盛り上げたりひとりでできるの大丈夫…?!」と37歳成人男性に要らない心配をしていました。
いざどうだ!とライブへ。
ひとりぽつんと残された岩沢さんは、いつも通り。いつもならこっちに相方がいるんですけど…とMCの間終始落ち着かないところを除けばいつも通りでした。
その時ふと思いました。
きっと、北川さんがいなくなったらそのままテレビにも雑誌にも出なくなって地元の歌のうまいおじさんになっていって、ホームページもTwitterもわからない人だからそのまま消えていってしまうのでは無いだろうか。この声も聞けないままだったのかな、と思い始めたら泣いていました。
この人はゆずであり続けなければこうして出会えなかったに違いない。そう確信したのです。

しかし、北川さんとのズレが今年ほど体感としてじわじわと感じられた年はないなと個人的にはそう思うのです。
音楽性というよりは音楽としての成り立ちかたが違うのかな。(すみません)

近年のリーダー北川さんは自分の曲がもつメッセージ性に強く関心を抱き、より多くの人にゆずの曲を聞いて欲しい。フィクションの世界(アートや音楽など)が現実の世界(自分たちが生きている人生観や気持ち)そのものを変える強いチカラがあり、自分たちの曲にもそのチカラが求められている。というような考えを説いているように思う。
文章におこすと壮大すぎるように思うが、彼はゆずの中でも数々のヒット作を生み出し、「ゆずってこういう感じだよね」「ゆずのこの曲すきだなぁ」とファン以外の人にも北川さんの曲は認知されゆずの世界観、いわゆる伝えたいことのようなものは確実に彼が広げてきたように思うのだ。
つまり、北川さんの曲は精神的な面からしても大成功している。

一方で岩沢厚治はどうなのか。
彼は今やファンの間では「カップリング職人」と呼ばれてしまっているほど影を潜めているが、それは今に始まったことではない。表面から攻めることはできないからサブリーダーとして裏からリーダーを支え、曲の盛り上がりでの高音パートやハモリの美しさでヒット曲の大黒柱になってきた。
しかし作る曲はというとどちらかと言えば地味であり、JPOPを意識したものとは程遠い。1種の日記のようで自問自答のような人の心にそっと寄り添う曲なのだ。
「ゆずを知った人」が気づいて聴いて、いつの間にか「あれ、もしかしてこれのことを言ってたの?」と生活の中に紛れて現れる、そんなさりげなさの美学があるように思う。(分かりづらい)
そのせいか「ゆずを知った人」通称ゆずっこと呼ばれるファンの中では岩沢さん派の方がどちらかと言えば多い。知らない曲が多ければ聞きたくなるのがファンの性。ある意味ぼたもち的なお得さなのかもしれない。
スルメ曲と言われるあのおいしさは知った人にしか味わえないのが少し残念である。

そんな岩沢さんの曲が今年初めに配信で発売され、「1発目のシングル!?まじか!!」と色めき立つTLにわたしも加わりワクワクしながらダウンロード。
ツタヤサウンドバリバリで壮大な曲に仕上がっていてそれには結構戸惑いつつも歌詞のやわらかさとあの高音美声に酔いしれた。
が、それもほんの数週間だけの出来事。
なんでだろうおかしいなぁ、どのタイミングで聞いてもやっぱりおいしいと何度もくりかえし食べてしまうスルメ曲の影も形も感じられず、言わば「結構戸惑いつつ」がそれはそれは結構な威力だったのだと気づいたのは最近のこと。

プロデューサーとの相性があまり良いように感じない。もしかしてこれも原因なのかとハッとした。
わたしが最近の編曲で面白い曲、これはライブで盛り上がる!と感じるものは北川曲で、これはこれで良かったの…?とたまにドキッとしてしまうのが岩沢曲である。
今まではやっぱりスルー。
でもこの曲シングル。アルバムの曲じゃない。

このまま微妙なズレがあるまま、が続いてしまうのは避けて欲しい。
でもゆずとして生きていく、生きるにはプロデューサーを別々で付けて!とまで言えない。
それはゆずがゆずであるため、岩沢厚治がゆずでいてくれる限り言ってはいけないことなのだと思う。こんな1ファンがどうこう言うものではないし、変化を恐れているのはわたしだけなのだということも同時にハッと気づいたときにはいつの間にか距離ができていた。

③土砂降りの横浜スタジアム
これは今年行われた横浜スタジアムで行われた二人参客での出来事。
お盆休みが終わるはずの日曜日、わたしはお金がないため夜行バスで帰ることを想定しその翌日月曜日に有給をもらった。
それほどまでに楽しみにしていた、というよりもここが正念場だという気持ちであった。
確かに新世界ツアーがきっかけで不信感は抱いたものの、ゆず本人に会って声を聴いてしまえば(二人揃ってのライブはこれが今年初めて)きっとなんてことなかった好きだったごめんね…と喧嘩別れから無事寄りを戻す昼ドラのような展開になるはず。それでそうならなかったら別れましょう……わたしたち。そんな気持ちだった。
早朝着くはずが10時に到着。快晴。
ゆずっこの聖地桜木町に降り立つ。いつもならテンション上がってにやにやしながら写真も撮るはずなのに変化なし。いやいや決めつけるのはまだ早い。
そうこうしてる間にお昼になり相方到着。何歌うかなー?とファンらしい会話をしつつのんびり会場へ。ゆずっこの交流会が始まったりなんやかんやして席に着くとなんとなく雲行きがいやめちゃくちゃ怪しい空が広がって…いやいや、晴れ男に限ってそんなことない!とのんびり身構えていたのもつかの間。
あの土砂降りである。
3曲を超えたあたりからまさかの土砂降り。
何の用意もして無かったわたしは数秒で雑巾のよう。誰か絞ってくれ、なんなら連れ出してくれ、もっとなんなら中止してくれ………………

あっ

「みんなー帰らないで居てくれてありがとーー!大丈夫かー!最後までいけるかー!!」

そしてわたしは心の中で
「無理ー!」と言いながら相方の手前「いえーい!」とやけくそで叫んだのだ。
もう察していただけただろうか。
これはもう完全に心が離れてしまっている、と確信した瞬間だった。
相方に申し訳が立たないが、もうこれ以上ここでファンとして居続けていいはずがない。
残ってくれた人じゃなくてチケット代が交通費が無駄になる!という気持ちでいっぱいだなんて口が裂けても言えなかった。
すべては「いえーい!」に託した。
死ぬまでに聴きたいと願い続けていた「ジャニス」は雨の音とともにそれはそれは幻想的に聴けるブツになっているらしいのだがわたしは未だに借りることさえできていない。
嬉しいいいと泣きながら帰りたいいいと心の底で泣いていたなんて口が裂けても言えないし今や辛い思い出として挙げてしまっている。

以上3点を総合して、わたしの中のゆずっこ人生は幕を閉じた。
ゆずがすきであることはずっと続けていくつもりだ。しかしゆずのことを心から信じ、なにも疑わず素直に着いていけるのかと問われるときっと首を振ってしまう。
ゆずっこはそれができる人を指すのだと思う。
だからゆずっこを辞めます。
すきなアーティストの1人として応援させてください。
10年もの間私のことを支えてくれて本当にありがとう。もう大丈夫そうです。

またあおう